2012/03/11

3月11日


あの時
私の住む街でも
今までにない揺れで 大津波警報も出ていて
揺れたと思った瞬間、ガスも電気もとまり
それが どんなに怖かったか
でも
その時のことを語るのは、
家族と繰り返し繰り返し話してきたことだし
きっとこの場では必要ではないんだ と思う


むしろ あの時以前とそれ以降では
ものの見方や行動がかわってきたことの方が重要に思う
だって、もうそれ以前の私には戻らないし、もう戻れない。


「絆」という言葉に違和感を持つ人も多いと聞くが
私は「絆」という言葉は今の私の気持ちを言い表しているように思う。
どんなことが起きても、
その後、後悔するような気持ちには絶対なりたくないから


あの地震以降にある友人に
「もし地震が来たら 大津波が来たら
私はその時ひとりでも猫さんたちを抱えて
高い位置を目指して逃げる」
そう話すと

「避難所はペットはダメだろうし
避難するときはそれどころじゃないよ」
と言われた。

たとえ避難所が受け入れてくれなくても
どこか安全な場所を見つけて
キャンプを張るつもりで野宿するよ
私にとって夫と猫さんたちは 誰ひとり欠けてはならない
大切な家族なんだから。



大切な家族
大切な日常
あの時の少し前
時間はお昼過ぎ
ほんとうに忘れてしまいがちだけど
大切な日常

昨年の今日、あたしはどんな写真を撮っていたのから?と整理していたら
日常写真をちゃんと撮っていた
ブログを毎日更新していた私の日常
お昼に遊ぶ猫さんたちの日常

2011年3月11日正午すぎのフリーとカート




でもこのお昼以降の写真から
大事な日常はいきなり急転する

2011年3月11日地震直後の停電 
ウチにあるありったけのロウソクで夜の暗さをしのぐ



この写真以降は…
計画停電の様子
なにもないコンビニの棚
ガソリンスタンドの長蛇の列
レジに殺到する人々
鎌倉で行われた宗派を超えた慰霊祭

非日常とも思えるような写真がしばらくずっと続いていた



繰り返し繰り返しテレビで流れる大津波の様子
色々と知ってしまった原発のこと
計画停電のこと
現実とは思えない毎日が続き
泣いてしまったり
怒っていることも多かったような気がする

大きな揺れを感じてから
見てしまった
知ってしまった
だからあの時より前と同じような気持ちには戻れない
ありきたりな日常、いつもと変らない日常の有り難さを思い知る

最近のズニさんとカート


だから、いざという時
猫さんたちを連れて、家族で逃げる
高い場所を目指し
全力疾走で駆け抜ける力 
判断力
家族を守る力
リアリティを持って何事も見れる力
それが 今の これからの私に必要なものなのだと




そして今年の3月11日
今日
被災地に想いを馳せて…

黙祷